『アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない』
この言葉は、「アイデアのつくりかた」の著者ジェームス・ウェブ・ヤングである。
この本を基にした記事は、下記のブログに記載したので、ご参照ください。
当然ですが、人は何かを伝えようと考えたとき、何かを理解しようと考えたとき、どうしても”言葉”で考えてしまいます。
何かを伝えようと思ったきに、言葉で考えることは当然だと思っていると思います。当然ながら、物事を伝えるときには言葉を使うからです。
確かに、それも一理あると思いますが、本当に言葉を使わなければ伝えることが出来ないのでしょうか?
答えは”No”だと思います。
実際に、我々は外国人や赤ちゃんに対して言葉を使わなくとも、伝えることが出来るとわかっているハズです。
世界的なパフォーマーの、二人組のある芸人さんたちは、見事に言葉を使わずに観客を笑わせてくれます。
では、なぜ言葉で考えてしまうのでしょうか?
それは、我々は言葉で文字で知識を得てきているからです。そこで、どうしても持っている知識からアイデアを生み出す際には、言葉や文字を組み合わせてしまいます。
この場合、生まれてくるアイデアも言葉や文字として、理解できるモノであることと考えられます。
つまり、アイデアが我々の持っている若しくは知っている言葉と文字という、ある意味せまいカゴの中で生み出されていることになります。
もちろん、この様な思考でも良いアイデアが生まれてくることもあるとは思いますが、もう少しカゴを広くしたほうが、より良いヒラメキが起こるとは思いませんか?
そこで、アイデアを生み出すうえで最も効果的な方法が、ビジュアル化です。
そのモノの名前がわからないような、言葉や文字に出来ないようなモノを使って組み合わせるとで、言葉や文字として、むしろ名前すら持たないモノをアイデアとして創造できるということです。
実際に、歴史に名を残すような発明をした方々は、モノを言葉や文字ではなくビジュアルで捉えてていたと言われています。
あの「相対性理論」を提唱した天才物理学者のアインシュタインや「万有引力」を提唱した力学の祖であるニュートンなどもビジュアルから理論(数式=言葉や文字)に落とし込んでいます。
光というナニモノかもわからないモノに対して深く想像したアインシュタイン、リンゴが落ちる様子を見て何かを感じたニュートン、恐らく彼らはビジュアルとしてモノを捉えていたと考えられます。
ビジュアル化と語学学習について
先ほど述べました「ビジュアル化」の能力は、決して彼だけ特別な能力ではなく、誰しもが持ってる能力であるということです。
私は、そのビジュアル化を鍛える方法に、語学学習があると考えています。
実際に私も現在、オンライン英会話で、フィリピンの先生やセルビアの先生に英語を習っています。
私は、DMM英会話でレッスンを受けているのですが、
(10000分もやっていたのか・・・、感慨深い。)
ビジュアル化と言語学習ということで、一見矛盾しているように感じてしまいますが、実は関係しているのではないかと私は考えています。
私はまだ、リスニングやスピーキングが出来ていないですが、たまにバシッとしゃべれるときがあります。恐らくその時、ビジュアル化が起こっていると考えています。
通常は、日本語からの変換で英文を構築しているのですが、その時は、話したいことのイメージの輪郭がはっきり見え、そこに英文がついてくる感じがするのです。
これも一種のビジュアル化ではないかと考えています。
言葉で理解せずに、ビジュアルで理解する感覚で、この感覚はアイデアの創造に活用できると、寧ろ、無意識に活用していると考えています。
英会話を始めてから、物事を考えるときや、伝えるときにはシンプルなビジュアルに落とし込む習慣がついたと思います。
語学の違いは、脳での変換方法に影響していたと思いますが、実際に視覚からの影響としては、私は、敢えて利き手とは逆の手で何かをやってみることも、直接的にビジュアルを刺激すると考えています。
また、別の話になりますが、利き手の影響もあると考えています。よくいわれる、左利きは右脳を刺激するので芸術的な才能が豊かなヒトが多いなどと言われたりしています。
私は実はそれ以外の影響もあると考えています。利き手とは逆の手で、字を書いてみたり、絵を描いたり、色をぬったり、ドアを開けたり、お箸をもったりと、そうすることで自分自身にある、ビジュアル化活性化装置のボタンが押されると思います。
つまり、私たちの日常生活においては、右利き用のモノが溢れています。左利きのヒトもしょうがなく、それら右利き用のモノを使用する必要があります。これが、ビジュアル化活性化装置のトリガーになっていると考えています。
ビジュアル化がアイデアに醸成されるタイミングとは?
ここまでは、ビジュアル化を鍛える方法でしたが、そのビジュアル化されたモノがどのタイミングで、アイデアになるかですが、それは、無意識のタイミングであると考えています。
私も、一度思いっきり考えた後、別なことを行っている間に、ふと、アイデアを思いつく時があります。
これは、我々が意識と向かい合っていない時でも、常に脳は働いており、その脳の中では情報の整理が行われており、その整理する際にカテゴライズするときに、偶然、組み合わさり、アイデアとして創出されるのと考えています。
この無意識の状態こそ、「アイデアのつくり方」にも記載されている「問題を放棄する」に近い感覚だと思います。
実際に、古代中国では三上(馬上、枕上、厠上)でアイデアが生まれると考えられていました。
馬上:馬に乗っているとき
枕上:横になって眠りにつくとき
厠上:トイレに行っているとき
おそらく、この状態というのも、言葉ではなく無意識の脳の中で、いくつものイメージが掛け合わさり、アイデアとしてアウトプットされてときに我に返るような状態であると想像できる。
最後に、アイデアを生み出すときの心がまえとしては、
「笑われることをおそれてはいけない」
「思いついたアイデアは、誰かに言うなどのアウトプットをする」
だと考えます。
これは、馬鹿にされることを恐れるな、その馬鹿にしているヤツもまた、大したアイデアを持っていないから。
また、誰かにアウトプットすることで、小さいなブレストを起こして、アイデアのブラッシュアップを図ることができる。
紹介した方法の詳細を知りたい方のために、下記の書籍を紹介します。
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